今井窯

 

今井窯は、信長・秀吉の安土桃山時代に可児市久々利の大萱や太平で栄えた美濃焼きの分派として、今井の奥村傳三郎が今井宮ヶ洞に窯を開いたことに始まりました。

 

初代傳三郎の後、その息子の傳三郎(通称:源助)が今井窯を継ぎ、21年後の寛延4年(1751)8月に源助が亡くなると、その息子の六右衛門が3代目窯元となり、安永10年(1781)の正月に亡くなったと言われています。

 

今井焼 灰釉  油壷
今井焼 灰釉 油壷

 

 

これら三代百年にわたる窯業について紀年銘のある作品を見てみると、次のようなものが遺存しています。

 

最も古い作品として知られているのは、今井石作神社の狛犬です。

その背面には、『奉寄進・尾州丹羽群今井村  林 長兵衛 元禄十弐年卯月吉禅日 吉次代』とヘラ書きがあります。

 

次に、今井光陽寺の墓地に建立された陶製の仏像で、台座の鉄釉の文字と裏面の「幽屋清関庵主 享保七年寅年十二月、忠右衛門父」の銘から、元文四年(1739年)に奥村忠右衛門という人物が父親の菩提を弔うために注文したものであることがわかります。

 

 

今井窯では、こうした特殊な用途に特化することなく、庶民が日常的に使う生活雑器「お勝手物」を主に生産していました。

これらの製品に絵付けが施されたものはほとんどありませんが、鉄釉で松と鶴をシンプルに描いた火鉢や、北画風に中国の風景を描いた皿、鉄釉の代わりにヘラで絵柄を削り取った皿などが残っています。